名古屋高等裁判所 昭和51年(行コ)5号 判決 1980年8月29日
控訴人
名古屋法務局豊橋支局登記官
西村金義
同
名古屋法務局田原出張所登記官
後藤克已
右両名指定代理人
松村利教
外五名
被控訴人
夏目平三郎
外四九名
右五〇名訴訟代理人
谷正男
主文
本件控訴を棄却する。
但し原判決第二物件目録の夏目平三郎の共有持分「三六〇分の三四八」とあるのを「五六〇分の三四七」と訂正する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
一被控訴人らが、本件土地について原判決の別紙第一ないし第三物件目録(但し第二物件目録記載の物件については本判決主文において訂正したもの、以下同じ)記載のとおり共有持分の登記を有していたこと、本件土地の共有者中被控訴人らを除く一部の者から「登記原因及びその日付」を「年月日不詳海没」とした滅失登記申請がなされたので、控訴人らにおいて昭和四四年九月二三日の秋分の日の満潮時に実地調査をなした結果、本件土地が海面下の土地となつていることを確認した上、同月二四日及び二五日に本件各滅失登記処分をしたことは当事者間に争いがない。
そして、<証拠>によれば、右の秋分の日の満潮時において本件土地は控訴人らの確認したとおりの状況にあつたことが認められ、また、当審における検証の結果によれば昭和五二年三月二一日の春分の日の満潮時にも本件土地は海面下に没していたことが認められる。
二控訴人らは、本件滅失登記処分をしたのは、潮の干満のある水面について、陸地と公有水面との境界線は春分及び秋分の日における満潮時の潮位を標準として定めるべきであり、本件土地のように右標準時に海面下となる土地は、現行法上私権の成立を認めることができないからであると主張する。そして<証拠>によれば、海面下の土地の登記等に関し、控訴人らの右主張のとおりの内容の法務省民事局の通達・回答が出されており、控訴人らの右主張もこの行政先例の見解に従つたものであることが認められる。
三しかしながら、以下に述べるとおり、控訴人らの右主張はこれを採用することができない。
先ず、ここで問題とされる所有権の客体としての「土地」とは、飽くまで法律上の概念であつて、自然的・物理的な概念ではないから、土地の定義について格別の規定がない現行法の下では、法律上所有権の客体となりうる性質を備える物であるかどうかが土地の概念を決定する要素として捉えられなければならない。そうすると、右の意味における土地であることの要件としては、人による事実的支配が可能であつてかつ経済的価値を有する地表面であることを以て足りると解すべきであつて、海面下の地盤であつても右の要件を充たす限り、これを法律上所有権の客体となりうる「土地」と認めて妨げないと解するのが相当である。
もつとも、土地について所有権の成立を認めるか否かは立法政策の問題であつて、時の法律いかんによる訳であるから、現行法上、海面下の地盤について明確に私所有権の成立を否定しているものがあるかどうかを検討しなければならない。
この点に関し、控訴人らは民法上「土地」とは「陸地」のみを意味し、本件のような海面下の地盤は土地ではないと主張し、民法二一〇条、二六五条、二七〇条等の規定はこの解釈を裏付けるものであると主張する。しかし、右の民法二一〇条の規定及びその前身である旧民法財産編二一八条の規定は相隣関係における被囲繞地の概念を定めるために土地、河川、海洋等の用語を用いているに過ぎないものであつて、所有権の客体となるべき土地の概念を定める規定ではない(なお、控訴人らの指摘する旧民法財産編二二条一号のような規定は現行民法には存在しないし、旧民法の右規定自体も所有権の成立しうる土地の範囲を定めたものとは解せられない)。また民法二六五条、二七〇条の各規定も、地上権、永小作権の内容を定めるために土地という用語を用いているに過ぎず、これらの規定があるからといつて、民法上の土地の意味を控訴人らの主張のように解することはできないといわざるをえない。
次に、控訴人らは、河川法の規定の類推適用により、海面下の土地は私権の目的とすることができない旨を主張する。しかし旧河川法(明治二九年法律第七一号)三条は「河川並其ノ敷地若ハ流水ハ私権ノ目的トナルコトヲ得ス」と規定していたけれども、現行河川法(昭和三九年法律第一六七号)は二条二項において「河川の流水は私権の目的とすることができない。」旨を規定するだけで、河川敷についての私権排除の規定を置いていない。そうすると、現行法は、河川敷について私権の成立を否定しなくても、公共用物である河川の適正な管理に必要な限度で右の私権に制限を加えることができるとすれば足りるものとして、河川敷についての私権排除の規定を設けなかつたものと解される。なお右のように解するときは不動産登記法八一条ノ八第二項「河川法ノ適用又ハ準用セラルル河川ノ河川区域内ノ土地ガ滅失シタルトキハ河川管理者ハ遅滞ナク滅失ノ登記ヲ嘱託スルコトヲ要ス」る旨の規定が適用されるのは、単に河川区域の土地が流水敷になつた場合ではなく、流水が常時流れることになつた結果、右土地について人による支配可能性及び財産的価値がなくなつた場合であると解すべきである。そうすると、現行河川法は河川敷について私権の成立を認めているものと解される上、海面については現行法上、海水が私権の目的となり得ない旨の規定すら存在しないのであるから、控訴人らの前記主張は、いずれにしても採用の限りでない。
更に、控訴人らは、公有水面埋立法一条、二四条を援用して、公有水面は個人の独占を許さない公共用物であつて、私人の所有権の目的とはなり得ないものであるから、その地盤も、公有水面と同一体をなすものとして公共用物を構成し、私権の成立を許すべきではない旨を主張する。しかし同法にいう公有水面とは、公共の用に供しかつ国の所有に属する水流又は水面を指称するものであること、及び私人の土地上の水面や公共の用に供されていない水面は私有水面であつて、同法にいう公有水面とはいえないことは、同法一条一項の法文上明らかであるといわねばならない。また、公有水面埋立地の所有権取得について定めた同法二四条の規定も、国の所有に属する公有水面についてのみ適用され、意味があるのであつて、私有水面を埋立てた場合に同条の適用のないことは明らかである。したがつて、本件における海面下の地盤が既に国の所有に属し、かつ海面が公共の用に供されていることを前提とする控訴人らの右主張は、右の前提自体が問題とされている本件においては無意味な主張であつて、採用の限りでない。
その他、現行法には、海面下の土地について私人の所有権の成立しうることを前提とする法規がいくつか存在する。すなわち、先ず海岸法三条は、海岸保全のために陸地及び水面を含めて海岸保全区域を指定する制度を設けているが、この指定の対象となる陸地及び水面には民有地も含まれると解される。また、港湾の開発利用管理のために、地方公共団体による港務局の設立等を定めた港湾法は、その四条二項において、港務局の設立に関し、私有港湾の存在を前提とする例外規定を設けている。更に、漁業法一三条一項四号は都道府県知事が漁業の免許をなし得ない場合の一つとして「免許を受けようとする漁場の敷地が他人の所有に属する場合又は水面が他人の占有に係る場合において、その所有者又は占有者の同意がないとき」と規定し(漁業権存続期間特例法一条二項二号にも同旨の規定がある)ているが、右の規定は漁場(水面)の敷地が私人の所有に属することがあることを前提とするものである。
したがつて、民法上の土地が陸地に限る旨の控訴人らの主張は現行法制上もこれを認めることができない。民法上の土地は陸地と同一でなければならないものでもなく、陸地は常に公有水面と接していなければならないものでもない。海面下の土地も、単に海面下にあることの故に私権の対象とならないということはできない。それは、常時自然公物たる海水によつて覆われることにより一種の公用負担を負う土地であり、あるいは、海岸法により海岸管理上の規制を受ける場合もある土地であるにしても、支配可能性と経済的価値とを備える限り、私権の客体となりうるものと解すべきである。海と陸との境界を春分又は秋分の日の満潮位の線を以て画し、この基準時に、海面下に没する土地については私人の所有権は認められないとする控訴人らの主張はこれを採ることができない。土地が海没によつて、滅失したと見るべきか否かは、そのような基準によるべきではなく、当該土地が海面下になつた経緯、現状、当事者の意図、科学的技術水準などを勘案して、その支配可能性及び経済的価値の有無を判断することによつてきめなければならないものである。
四そこで次に本件土地の沿革及び現状について検討する。
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
(一) 本件土地は、いずれも田原湾沿岸を形成するいわゆる海面下土地の一部であるが、田原湾内の豊橋市大崎町、同市老津町、同市杉山町、渥美郡田原町の各地区の海面下土地の総面積は約一三七九万平方メートル(但し土地台帳上の総面積は約六四一万平方メートル)であり、右のうち本件土地は豊橋市杉山町地区と渥美郡田原町地区の二カ所に分かれており、右二地区の登記簿上の面積は前者が三六万〇八九〇平方メートル、後者が一八万二六七九平方メートルである。
(二) 前記のように本件土地は満潮時においては海面下に没するが、日に二回の干潮時においては砂泥質の地表を露出するいわゆる干潟(汐川干潟という)である。そして田原湾の潮の干満の差は最大約三メートルに達するものであり、昭和四四年九月二三日の秋分の日のほぼ満潮時における本件土地の水深は0.6メートルないし二メートルであつたが、この潮の干満の程度は昔も現在もあまり変りはない。もつとも干潮時において、右干潟のすべての部分が露出することはなく、澪筋と呼ばれる川状の部分は、水面下に残り、船舶は右の澪筋を通つて田原港へ出入りしている。
(三) 右の干潟を形成する田原湾一帯を外海(三河湾)と別個のものとして干拓しようとした計画は古く江戸時代初期からあつた。後期に入つてから天保五年(一八三四年)二月頃には尾張国名古屋鉄砲町の住人専一外三名が徳川幕府にその開発を願い出て、新開に着手し、また安政五年(一八五八年)には尾張国名古屋桑名町平民堀田徳右衛門が大崎、老津、杉山、谷熊、今田古胡、浦、波瀬八ケ村地先、海面大繩反別四八七町九反歩を地代金三一両一分と永一四〇文を徳川幕府に上納して右干潟の新開に着手したが、いずれも資金の欠乏から失敗した。そして本件土地は古くから右の村々の住民が田の肥料とするために藻草を採取し、また貝や魚を捕取していた場所であつたため、右の開発を願い出た堀田徳右衛門は地元の村々との間で新開落成するまでの間は村々の住民は自由に本件土地で採藻捕魚をしてもさしつかえない旨の約定をとり結んでいた。
(四) 明治七年七月二日、堀田徳右衛門は当時の愛知県令鷲尾隆聚に対して本件土地を含む渥美郡谷熊村外七ケ村地先海面入江新開大繩反別一三七八町歩の内新開反別八八七町九反歩について新開試作地として地券の下付を願い出て、同年同月四日、地券の下付を受けた。その後、明治一一年一二月、三河国渥美郡老津村総代理中村吉五郎他の者が当時の愛知県令安場保和に対して、右の地券下付後鍬下年期中に開墾が行われていないから地券を引上げてほしい旨の上申がなされたが、同県令はこの上申を取上げなかつた。(同県令の右の処置は明治八年七月八日地租改正事務局議定地所処分仮規則第三章第四条「旧藩県ニテ開墾願済未タ地代金ヲ納メスシテ現今未着手ノモノハ其所有トナスヘカラス尤モ地代金ヲ納メヌトモ旧藩県ヨリ授与セラレタル確証アルモノハ共所有ト定ムヘキ事」によつたものと推認される。)
右地券の交付を受けた堀田徳右衛門は、明治一三年一二月二七日大崎村惣代に対し、新開場中捕魚藻採貝取等は新開落成にならない間は、其の村において自由にできること及び地券の記載された土地を他へ譲渡するときは、後の所有者にこの旨を必らず引継ぐことを約したが、その後地券が転々譲渡されるとともに、その譲受人らはいずれも大崎村に対し、右の堀田徳右衛門の約定を引き継ぎ、これを守る旨の証文を差入れていた。そして、明治一七年五月に大崎村、野依村、権田村は、大崎村地先の海面下土地についての地券を取得し、また老津村地先の海面下土地についての地券は、明治一五年に同村共有総代人に譲渡され、これにより、大崎村老津村の村民は安んじて、漁業に専念できるようになつた。
右地券に表示された土地の鍬下年期は当初五カ年であつたが、延期願が認められて明治一八年までとなつた。そこで右土地が有税地となるので、明治一九年一〇月二六日旧慣によつて分割することの願出がなされ、これが愛知県によつて認められて各村の境界を確定する図面が作成され、八ケ村に下付された。
その後本件土地は、転々譲渡され、現在被控訴人らが買受けた結果、原判決の物件目録記載のとおり被控訴人らの共有持分権が登記されている。
(五) 本件土地は、地租台帳、土地台帳に池沼汐溜として登載され、地価、譲渡の事実が記載されており、また不動産登記法施行後は登記簿上地目を池沼として登記された。そして本件土地は転々譲渡され、金融機関は本件土地に担保権を設定して所有者に金融をしていた。このような本件土地を含む田原湾一帯の土地の譲渡は私人と私人との間だけでなく国との間でも行われた。すなわち、昭和一四年頃には海軍省が前記地券に表示された田原湾内の土地一部を飛行場とするため土地代金一反当り金七〇円、漁業補償金一反当り金七二円で買収している。
国は、本件土地について大正一五年頃鍬下年季が廃止された後、地租の徴収を開始し、その後昭和三六年に豊橋市がまた昭和三八年に田原町が固定資産税の徴収を停止するまで本件土地には租税が賦課されていた。
また、本件土地と同様の土地である渥美郡田原町大字浦字セイロウ洲一番二池沼一二〇八五二平方メートルについて大正一五年一月二六日大蔵省が、昭和八年五月二五日愛知県が、昭和二九年八月二六日田原町がそれぞれ当時の共有者の持分について差押をなし、特に後二者は公売処分がなされている。また本件土地のうちの原判決第三物件目録一記載の土地についても昭和八年九月二七日愛知県が滞納処分による差押をしている。
(六) 堀田徳右衛門が地券を取得した当時、同人と当時の大崎村七ケ村との間の協議で本件干潟の海面境界が絵図面で協定されており、以後現地において境界杭が設置されてきた。その後分筆登記がなされてきたことは前記のとおりであるが、昭和一一年頃の帝国市町村地図刊行会発行の地図にも各土地の区画が記載されており、本件干潟の区画は明確になつている。
(七) 本件土地等の海面について漁業協同組合が漁業権の免許を受けるに当り、土地所有者(大崎地区については大崎海面土地管理申合組合)の同意を要した。また、漁業権存続期間特例法の施行に伴い、大崎漁業協同組合は昭和三六年八月一日、同法一条の規定による土地所有者の同意を右大崎海面土地管理申合組合から受け、かつ同組合に対して本件土地の使用料を支払つていた。
また、右組合は昭和三三年七月二三日と同三六年三月二〇日に豊橋市長との間で、愛知県が行うしゆんせつ工事に関し海面下土地の借地契約を締結し、借地料の支払を受けている。
(八) 昭和二三年頃、原判決の第二、第三物件目録記載の土地の当時の所有者は田原町漁業会を被告として、名古屋地方裁判所豊橋支部に右土地への立入禁止等を求める訴を提起したが、右の訴訟につき同二四年一一月二六日、被告は右土地について原告が所有権を有することを認め、右土地で入漁しないことを約する旨の和解が成立している。
(九) 昭和三九年頃、愛知県は本件土地を含む田原湾一帯の干潟について埋立を計画し、この計画を実行するため、本件土地を含む海面下土地につき海没により滅失したものとしてその旨の登記を行うことを考え、右土地の登記簿上の共有持分権者に対して任意に滅失登記申請をなすことを勧告し、任意に滅失登記申請をした者に対し、協力感謝金の名目で一坪当り金二五〇円の金員を支払つた。右の協力感謝金は愛知県の予算執行及び勘定科目上は「補償費」として処理された。
一方、昭和四四年三月一七日愛知県は、福田産業株式会社が共有持分権を取得した原判決の別紙第二、第三物件目録記載の土地を含む田原湾内の海面下土地について、同社との間に、同社は滅失登記の申請に協力し、県は同社に対し優先的に埋立地の分譲を行うこと、埋立地の譲渡価格及び支払条件については同社の取得価格に鑑み県は格別の配慮をもつて決定すること等の約定を結んでいる。
以上の事実が認められ他に右認定を左右するに足る証拠はない。
五右に認定した事実関係によれば、本件土地は満潮時には、全域にわたつて海水で覆われる場所であるが、かつて陸地であつた場所が海没して海面下になつた場所でも、人為的に土地を掘さくして海面とした人工海面でもないことが明らかであつて、明治七年に堀田徳右衛門は本件土地につき地券の交付を受けたことによりこれを海面のままで払下を受けたものであるということができる。
控訴人らは海面のままで払下げても、海面に私人の所有権を認めることはできず、堀田徳右衛門は右の地券によつて海面の埋立権を取得したにすぎないものである旨を主張するので、当時の法制について次に検討する。
明治政府は地租改正の準備のため、租税を負担する土地(田畑)の永代売買の禁を解いて土地の流通取引を許し(明治五年二月一五日太政官布告第五〇号)、土地をして新租税制度における租税額決定の標準たる地価を有するものとし、地価及び租税義務者たる土地所有者を確定する手段として「地券」の制度を創設した(明治五年二月二四日大蔵省達第二五号地所売買譲渡ニ付地券渡方規則)。右規則第六には「地券ハ地所持主タル確証ニ付大切ニ可致所持旨兼テ相諭置可申候……」と定められており、堀田徳右衛門が取得した地券は右の規則にのつとつて発行されたものということができる。
そうすると、堀田徳右衛門は、被控訴人らの主張するように、安政五年に徳川幕府から本件海面を埋立の目的で払下げを受けたことによつて本件土地の総括的支配権を取得したものであると断定することは困難であるけれども、明治七年に右地券を交付されたことによつて本件土地を含む本件干潟の払下を受けたものと認めるのが相当である。そして、以下に述べるように、本件地券が発行された当時の法令は、海水に覆われている海面であつても、これが公物であることを前提として、埋立の目的で私人に払下げ(譲渡)することができるとしていたものということができる。
すなわち、明治四年八月大蔵省達第三九号「荒蕪不毛地払下ニ付一般ニ入札セシム」は海岸寄洲及び海面の払下げを認め(その地域に民法上の土地所有権が認められた事例がある。最高裁判所昭和五一年(オ)第一一八三号事件、昭和五二年一二月一二日言渡判例時報八七八号六五頁)、また明治七年太政官布告第一二〇号「地所名称区別」は官有地第三種に海を含め、明治六年七月の太政官布告第二七二号地租改正法の地租改正施行規則は担税力のない土地についても地券が下付されるべき旨を定めている。
また、本件地券交付後の法令中にも海面下の土地の払下を認める規定を見出すことができる。すなわち、明治一〇年一月二〇日太政官布告第八号民有荒地処分規則四条は「川成海成湖水成等ノ荒地ニシテ地主持続クベキ望アルモノハ拾年ノ年期ヲ定メ無代価ノ券状ヲ付与スヘシ……」と定め、明治一七年三月太政官布告第七号地租条例(明治二二年法律第三〇号による改正)二四条は「川成海成、湖水成ニシテ免租期明ニ至リ原形ニ復シ難キモノハ更ニ二十年以内免租継年期ヲ許可ス其年期明ニ至リ尚ホ原地目ニ復セス他ノ地目ニ変セサルモノハ川、海、湖ニ帰スルモノトス」と定め、昭和六年法律第二八号租地法五五条は「荒地ニ付テハ納税義務者ノ申請ニ依リ荒地ト為リタル年ハ其ノ翌年ヨリ十五年内ノ荒地免租年期ヲ許可ス。前項ノ年期満了スルモ尚荒地ノ形状ヲ存スルモノニ付テハ更ニ十五年内ノ年期延長ヲ許可スルコトヲ得。海湖又ハ河川ノ状況ト為リタル荒地ニ付テハ前項ノ延長年期ハ二十年内トス。其ノ年期満了スルモ尚海湖又ハ河川ノ状況ニ在ルモノハ本法ノ適用ニ付テハ海、湖又ハ河川ト為リタルモノト看做ス。」と定めている。これらの規定は、海面下の土地についても一定の免租期間を設け、海面下になつていることをもつて直ちに、これを国の所有に帰属させることはせず、なお一定の期間私人の土地所有権を認めているものであることが明らかである。
したがつて、大正一〇年四月九日に公有水面埋立法が制定されて公有水面埋立手続が整備された後は、国の政策上、海面のまま私人に払下げることはなくなつたけれども、一たん払下によつて付与された私権は、その後の法令の改廃によつて当然に消滅するものではないと解すべきである。
六右のように堀田徳右衛門は地券の交付を受けることによつて本件土地の払下を受けたものと認めるべきであるが、前記四において認定した事実関係から見れば、本件土地が私人の所有権の対象となるものであることは明らかであるといわねばならない。
すなわち、本件土地は干潮時に地表を露出し、満潮時の水深も約0.69メートルないし二メートル程度に過ぎない田原湾干潟の一部であつて、右干潟は他の海面とは明確に区画区別されてきたもので、実測の上地図が作成されたこともあること、明治七年七月四日に堀田徳右衛門が地券の下付を受けて以来、約九〇年の間本件土地は地租台帳、土地台帳に池沼、汐溜として登載され、登記簿上は地目を池沼として登記され、分筆登記されて転々売買譲渡され、又は金融機関に対する担保に供されてきたこと、本件土地及びこれと同様の土地につき大蔵省・愛知県・田原町が差押公売処分をなしたことがあり、海軍省が本件土地の一部を買収したことがあること、国又は地方公共団体が昭和三八年までは本件土地につき地租固定資産税を徴収してきたこと、漁業会や漁業協同組合が本件土地の所有権を認め、本例土地の使用料の支払をしたこと、愛知県が本件土地の滅失登記申請をなした者に対して、「協力感謝金」を支払い、予算執行上これを「補償費」として処理し、福田産業株式会社との間に本件土地に経済的価値があることを前提とする約定を結んでいること、はいずれも前認定のとおりである。これらの事実によれば、本件土地は、私人による事実的支配が可能であつて現実にそのように支配されて来たものであり、かつ経済的価値を有するものであつて国や地方公共団体からもそのようなものとして扱われて来たものであるということができる。
七以上の認定判断によれば、本件土地は、堀田徳右衛門が明治七年七月四日に地券の交付を受けたことによつて、その所有権を取得したものであり、その後の譲渡により現に被控訴人らにおいてその主張する割合の共有持分権を有しているものであるといわねばならない。そうすると、本件土地について、被控訴人らをのぞく一部の共有名義人の申請にもとづき「海没により滅失」したとしてなされた本件滅失登記処分は、その余の点について判断するまでもなく、違法であるといわなければならない。
よつて右処分の取消を求める被控訴人らの本訴請求はいずれも理由があり正当として認容すべきところ、右と同旨に出た原判決は相当であるから、本件控訴はこれを棄却すべきである。なお原判決の第二物件目録の夏目平三郎の共有持分に誤記があるのでこれを訂正し、民事訴訟法八九条、九三条一項本文、九五条を適用して主文のとおり判決する。
(秦不二雄 三浦伊佐雄 高橋爽一郎)